出産レポート③~呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン~

前回の続きで、これが最後です。

 

分娩室に向かう途中も陣痛室から分娩室までの数mを、陣痛の波で時々止まりながら進み、ようやく分娩台へ。

気持ちはもう、

一刻も早くいきませてくれ!!

ということに尽きました。

 

準備が整い、主人も着替え、私の頭上にスタンバイ。

ようやくいきめる~!と思ったら、助産師さんから驚愕の一言が。

 

「じゃあちょっと私達は他のお母さんのところに行ってくるので、陣痛が来たら、いきんでおいてください」

 

! ? ( ◎ Д ◎ )

 

D O U I U I M I ?

 

という感じで唖然としていると、何かあったあら呼んでくださいね、と言い残し、颯爽と分娩室から姿を消したのでした

 

レポート①でも書きましたが、今日は日曜日

旦那さんのお休みを利用して、計画分娩をされる妊婦さんで予約がいっぱいだったのです。

正に今生命が生まれ出でようとしているのでしょう。

私達は私達でやるしかない!と腹をくくり、主人と母親学級で学び、家で何度も練習したいきみをいざ実践!

 

ふおおおおおお!!!!

これで合ってるの?合ってるのこれで!?

 

15分ほどして、助産師さんが戻ってきてくれました。

どうかな~?と笑顔で診てくれます。こちらは手に汗握りながら必死の形相ですが、流石は助産師さん、慣れています。

 

目をかっぴろげながらいきみます。主人の前だから、とかどうでもいいし、違う穴から違うものが産まれるかもしれない、とかそんなの本当にどうでもいいと思いながら力の限りいきみ続けました。

 

いきみ続ける事40分。

頭が出てきたよ~と言われましたが、痛いの何の

いやもうこれ裂けますけど?

と思ってると、会陰切開の為のお医者様が登場!

が、準備が!本当に申し訳ないのですが、準備が!遅い!!遅いの!!

あれだけ会陰切開怖いよ~!と思っていた私ですが、この頃にはもう、

 

早く切ってくれ~!!!産ませてくれ!!

 

という気持ちでいっぱいに。そして陣痛の波。

もう辛抱ならず、

 

「すみません、産みまーす!!」

 

すっぽーん!!

 

んぎゃあ!んぎゃあ!ぅんぎゃあ!!

 

 

「産まれましたよ。おめでとうございます!」

 

そう言われ、何がどうなったのか分からず、呆然としている私の胸元に

白いタオルに包まれた小さな赤ん坊が。

 

「か、かわいい~!

 

壮絶だった陣痛を終えた先にあった、我が子との出会い。

これはもう格別の幸せでした。この子がずっと私のお腹にいたのね。

ありがとう、頑張ったね。ママだよ、宜しくね。

色々言いたい言葉はあったのに、最初に出たのは「かわいい」という言葉でした。

 

主人が「お疲れ様」と声をかけてくれて初めて、終わった、と思いました。

本当はここからが始まりなのですが、これで私の出産レポートは一旦終わりです。

 

ちなみに、この後、結局カテーテルを刺され、話が違う!!となった私でした

 

出産レポート②~陣痛中のトイレはサスペンス~

前回の続きです。

 

就寝したのが深夜1時。

それからわずか2時間後の3時14分。

何となくお腹が痛いような気がして目が覚めました。

(これはもしや?)

そう思い、陣痛の間隔を計る陣痛アプリで測定開始。

1時間計ってみましたが、3~7分と時間にばらつきがあったため、前駆陣痛かなぁ、と思いながらも眠るには不快な痛みだったので測定を続行しました。

 

そのまた1時間数分後。

時間は5時56分でしたが、3~4分で痛みがくるようになり、あれ、これ来ちゃったかな?と焦り出しました。主人を起こして病院に連絡すると

 

「すぐ来てください」とのこと。

 

母親学級の知識だと、確か3~4分て結構陣痛が進んだ時の痛みだよね?あれ、どうなってるの?と半ば混乱していましたが、とりあえず着替えて、陣痛タクシーを呼ぶことに。

 

が、ここで問題が・・・。

「陣痛中の対応が出来る運転手が今皆出払っていておりませんので、普通の運転手がうかがうことになります

 

そう、その日は日曜日。タクシーは朝から大盛況なのでした。

 

待つわけにもいかず、とにかく病院に急ぎたい私達は、お願いします!と一つ返事。

数分後、タクシーが到着。すぐに病院に向かいました。

 

 

病院に到着後、子宮口を見てもらうと、5cm開いてるね」とのこと。

 

主人には

「今日の昼すぎには産まれるよ」

と伝えたらしく、主人は驚愕

職場に連絡して急遽会社を休むことになりました。

職場の皆さん、ありがとうございます。

 

もう5cm開いてるのか~!よかった!と思っていました。

実際は、そこから陣痛室で8時間ほど苦しむことになるのですがね!

陣痛室に向かう途中、看護師さんから、トイレにこまめに行かないとカテーテル尿道に刺さなければいけないと言われました。

 

そこで、陣痛中に何度もトイレに向かったのですが、そのたびに痛みで、

うおおおお!!

となり、汗ダラダラ

便座に座ってなどいられず、立ち上がって、手すりを握りしめてやり過ごしていたのですが、血がドバドバ出てしまい、

船越栄一郎山村紅葉もびっくりなサスペンス現場と化しました。

とはいえ、そのままにするわけにもいかず、また、

うおおおお!!

となりながら床をトイレットペーパーで拭いて出るという拷問を繰り返しました。

主人は私の腰をさすってくれていたのですが、主人がちょっとでも手を休めていると、睨みつけて(腰を!さすれ!!)と訴えていました。

あの時はすまなかったね、主人よ・・・。

 

がしかし!

ここで昨晩夜更かしをしていたことがとなります。

 

圧倒的に”体力”が足りない・・・。

 

陣痛と陣痛の間に猛烈な睡魔に襲われ、そしてまた陣痛で起こされるという壮絶な状態を経験することになってしまったのです。

お腹も腰もバイキンマンがUFOに乗りながらアンパンマンに振りかざしている、”でっかいい鉄製のハンマー”を力いっぱい打ち付けられている感じ馬鹿みたいに痛いし、いきむなと言われても勝手に力入っちゃうし、テニスボール意味があるのか分からないし、子宮口はも6cmからなかなか進まないし、

 

もう早く産まれてくれ~!!!

 

という気持ちでいっぱいでした。

そうこうしているうちに、ようやく分娩室に移動することになったのです。<続く>

出産レポート①~ジンクスを破る男~

息子を出産してから早8か月。

産まれたばかりの頃は本当に余裕のない毎日で泣いてばかりでしたが、ようやく少し、心に余裕が出来てきた感じがします。

とはいっても、夜泣きが始まって、夜は本当に壮絶ですが・・・(TvT)

でも、しっかり元気に育ってくれていることに感謝。

 

そんなわけで、改めて、出産がどの様な様子だったか、書き記しておきたいなと思います。

どんどん記憶って忘れ去られていくものですものね。

 

そもそも、40週0日が丁度「予定日」に当たるわけですが、私は36週検診で、先生に、

「子宮口1cm開いてるね。今週中に産まれるかもしれないよ。」と言われ、大焦り!

まだ入院準備もそこそこだったので、急いで支度をし、いつでもばっちこい!の状態にしました。

2月11日が予定日だけど、もしかしたら1月生まれになるのかも~?と思いながら主人と残りわずかであろうマタニティ期間を楽しんでいたのですが・・・

37週

38週

39週

40週…。

ん?(^_^)

今日予定日ですけど?全っ然兆候ないんですけど?!あれ?先生!?

 

「子宮口1.5cm開いてるけど、まだ赤ちゃん下がってきてないね。」

 

先生の言葉に驚愕。主人は1週間取った休みを全て使い果たしましたorz

 

両家からもまだかまだかコールが激しくなり、ワクワク♪焦燥に変わり、

焼肉を食べたり、毎日10km近く歩き回ったり、坂や階段を上り下りしたり、満月を見たり、いわゆる「陣痛を来させるジンクス」を手当たり次第にやったのですが、

 

全く効果なし!

 

結局、41週を迎え、いよいよ先生から

「じゃあ3日後に入院して、翌日に促進剤打ちましょう」と言われました。

36週の時のお言葉は一体・・・。

 

でもその反面、促進剤を打つ日取りが決定したので、早く産まなきゃ!という焦りは消え、心穏やかに過ごしていました。

 

翌々日に入院を控えた日の夜、主人と陣痛中に聞く音楽リストをインストールするため、悪戦苦闘。ようやく夜中の1時に就寝・・・よかった、という安心もつかの間。

やつは突然やってきたのです・・・。<続く>